教会長の略歴

| 出身地 | 大阪府豊中市 |
| 生年月 | 昭和44年(1969年)12月生 |
| 略歴 | 2007年 金光教教師拝命 2009年 金光教豊中南教会代表役員(~現在) |
| 地域活動 | 2015年 庄内西町三丁目自治会、会長(~2021年3月、3期6年) 2021年 庄内地区自主防災会、副会長(~現在) |
| 過去の主な履歴 | 1995年 4月 (~2005年3月)株式会社イシダ入社 1995年 7月 (~2005年3月)本社海外事業部へ配属 2000年 6月 (~2005年3月)タイに駐在 2001年10月 (~2005年3月)現地法人ISHIDA (THAILAND) CO., LTD.役員 2005年10月 (~2009年1月迄)株式会社プラントシステム設立、同社代表取締役 2007年 8月 (~2009年1月迄)ナブテスコの子会社、東洋自動機株式会社国際部顧問 |
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以下、自己紹介です。
【目次】
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【自己紹介】
大阪府豊中市在住の水野です。私は、射手座、A型、動物占いは、束縛を嫌うクロヒョウの、今年(2024年)55歳です。
私は二十歳まで何がしたいのかさえわからず悶々としていました。それでも、チャンスがあれば飛びつけるよう岩波新書を片っ端から読み、英語も独学で勉強は続けました。そんな時、高校時代の友人から一通の絵葉書が届き、それに触発されて一人で中国シルクロードで49日間、旅をしました(使った費用は神戸→上海間のフェリー代などすべて込みで12万円)。
これがきっかけで一気に視界が開け、人生が好転。希望通りメーカー(工場で使う大型の機械)の海外部門に就職し、希望通りタイに5年間駐在、タイ人に対して直接営業活動をしていました。
私の曾祖父、祖父、父が神道系の宗教、金光教の教師であった関係で、37歳の時に教会を継ぎ、現在に至ります。世の中、病気や仕事、人間関係で悩み、不安を抱える人が大勢いますが、私の仕事は、そういう方の不安や願い事を聞かせていただいて、神様に願い事を届け、神様の言葉をお伝えしています。おおむね1回の参拝で心が軽くなられます。
不安による自律神経の乱れは万病の元ですから、不安は神様に預けて、貴重な今を大切にして下さい。海外のリゾート地で見た美しい青空が、あれ?同じ空があるやん、と、気付いていない価値に気付いていただくお手伝いができればと願っています。気づいた時、あなたの問題は解決しているかも知れません。
Ⅰ 宗教者になるまで
【歩み-学生時代】
20歳まで何をして良いかわからず悶々とした日々を過ごしていました。
そんな不透明な20歳の夏、高校時代の友人から一通の絵葉書が届きました。「いまシルクロードの終着地、西安にいます」。それも一人旅。海外なんてツアー以外で行くことなど夢にも思っていなかったので、本当にびっくりし、帰国後、彼から詳しい話を聞きました。
「中国までは神戸港から船がある。…。内モンゴルの草原ツアーはええで。パキスタン人のおっさんと一緒に羊の肉をナイフで切って食べ、…。パキスタン人と別れる時、俺にSee you と言わずHave a nice life ! って言いよんねん。いい人生を送れよやって。めっちゃ恰好ええ」。
海外へ一人旅など不可能と思っていましたが、面白いものです。彼が行けるなら私も行けると簡単に思考が変わるのですから。第一歩が踏み出せなかった原因は、移動・滞在費がいくらで、行き方・切符の買い方・宿泊場所がわからないことでしたが、それらはすべてガイドブック『地球の歩き方』に書かれてあると教えてもらいました。私は早速、ガイドブックを買い、バイトを開始。このあたりから人生が好転していきました。
初めての中国、シルクロードの旅は、船で神戸港→上海(18,400円)、あとは列車で上海→北京→内モンゴル→蘭州→嘉峪関→酒泉→敦煌→トルファンまで行き、その後はタクラマカン砂漠の北側をバスで1,400km横断してカシュガルへ。そして天山山脈をバスで縦断してイーニン→ウルムチ→列車で72時間かけて蘇州→船で杭州→上海、再び船で神戸港着。計49日間、使った総費用は、往復の旅費・滞在費すべて込みで12万円でした。
一人で貧乏旅行をしていると、同じ日本人と現地で会うことが頻繁にあり、夕食を共にすることが多かったです。彼らの多くは、向上心があり、大いに刺激を受けました。話についていけなかった内容は、帰国後、岩波新書などを読んで、彼らと同じレベルに持っていこうと勉強も続けました。
結局、学生時代に22か国、旅行しました。
【就職活動】
就職活動。親戚の伯父から「営業するなら、自分はモノを売るのが好きですと言え」と言われ、初めての面接ではそう言いましたが見事に失敗。自分の価値観に基づき、内面からほとばしり出る言葉でないと相手には伝わらないと実感。この失敗を活かし、その後の面接では「自分は、同じ仕事をするのなら、海外の人と触れ合える仕事がしたい」「同じ機械を売るのでも、御社のように買う人の問題解決になり、買って喜ばれる機械を扱いたい」と自分はどこに価値を認めて、何をしたいのかを明確に伝えました。その他、面接では、学生時代に岩波新書を読みあさって広げた見識も大いに役に立ちました。
【歩み-社会人】
私は文科系で機械の知識がないために入社後3年間は大いに苦労しましたが、分からないという私に、ただでさえ忙しいのに懇切丁寧に時間を割いて教えて下さった会社の同僚・先輩・上司には心から感謝していますし、今でもそのような人の人格に触れたのは財産となっています。
機械などの技術的な専門知識に乏しいとダメなように感じていましたが、上司から「専門知識がないことが逆に、機械の話ではなく、顧客の生産現場の改善などより顧客の視点で提案ができる」と言われましたが、その通りだと実感します。
【継ぐことに葛藤は?】
単価の高い機械の販売に面白み・やり甲斐がありましたが、祖父母・両親の姿を見て育ったので親にがっかりさせてまで自分のしたいことをしても死ぬときに後悔すると思い決断しました。
海外渡航歴は70回、38か国。子供の頃から乗り物で移動するのが好きなのですが、教会は困った人がいつ来られるかわからないため空らけれず、休暇の取れるのが3か月に2日ぐらいなのが難点です。今後は、事前に日程を決めて休暇はいただくようにしていきたいです。
【今の生き甲斐は?】
仕事で大きな成果を挙げても、その喜びはその日だけで翌日には消えてしまいますが、今の教会の仕事で、参拝者が良くなって行く姿を見る喜びは消えず、蓄積される感じがして、人生の充足感はとても深いです。
Ⅱ 宗教者になってから思うこと(草稿中)
金光教では神心(かみごころ)と呼び、仏教では仏性と呼び、世俗の世界では良心という言葉があるように、我々人間の中には神の働き(=人を助ける働き)が備わっており、天地の神、自分と他の人たちの心の中に具わる神のような心が、みなつながっていると実感しています。まるで、世界中に蜘蛛の巣が張り巡らされているように。
神の働きとは、なんか劇的な変化を引き起こすように考えている人が多いと思いますが、そのようなものではなく、ちょっと背中を押すというか、意思に働きかけるようなものだと思います。それも日常的に経験するというより、命に関わる重要な局面で働くように感じています。
〇 私の信仰体験1-タイのプーケットでの体験
一つ目は、 1995年の春、就職する前にタイのプーケットでスキューバダイビングのライセンスを取りに行った時のことです。
タイの位置は、日本から海を渡って西へ行くと中国があり、海岸線を南に下っていくとベトナムがあり、その左がカンボジア、次がタイです。海岸線をそのままたどると細長いマレー半島に入りますが、タイのプーケットは、そのマレー半島の真ん中より少し北にあります。
ダイビングのライセンスと言うと高価なイメージがあるかも知れませんが、手ぶらで行って、4泊5日、ダイビングの機材、食事代、宿泊代、全部込みで3万円で免許が取れます。
最初は、機材の使い方をプールで習い、2回目からは砂浜から沖へ出て習いました。南国の海ですから、水は綺麗ですし、カラフルな魚がいっぱい泳いでいて、命の営みというのを実感します。しかも、自分が今まで知っている地上の世界とは全く違う世界が海の中にあるわけです。これが太古の昔からあると思ったら、もう本当に感動です。ふと海底から海面を見上げると、南国の太陽に照らされて、海面が宝石のように輝いていますし、まるで人形姫になったような気分です。
ところが、感動に浸っていると、急に目の前が真っ白になりました。スキューバダイビングでは、絶対一人で潜ってはダメで、先生の他、もう一人とペアを組むわけですが、さっきまで一緒にいた先生と仲間の姿は見えず、海の中全体が大きく揺れて、最初、何が起きたのかわかりませんでした。落ち着いて観察していると、白い砂粒が海底から舞い上がって、視界は50センチぐらいしかありません。海底がこんな状態ですから、もう仕方がないと、独断で海面に上がりました。
海面に上がると、青空が見えてほっとしましたが、それも束の間です。砂浜に向かって泳ごうとしますが、前に進まないのです。左手にブイ(浮き球)が見えましたが、いくら泳いでも泳いでも、ブイの位置が変わらず、前に進まない。海が川みたいになって流れているのです。これはもうあかんと思って、ブイに捕まろうと思ったら、浮力が全然ないのです。持っただけで沈むし、こんなの話にならないです。で、このままいったら本当に沖へ流されてしまうので、泳ぎ続けます。すると、砂浜で先生や仲間が手を振っているのが小さく見えました。恐らく300メートルから400メートルは離れていたと思います。「こっちやで」と言っていのでしょうけど、声は聞こえません。体力的にもうあかんと思った時に、ふと、顔がこっちに、左に向きました。砂浜は前方にありますが、砂浜は湾になっていて、私の左手に岬が見えました。左手の岬は砂浜と同じくらい離れていますし、岬に行っても岩場があるだけで、陸には上がれても、その後は断崖になっていて砂浜には歩いていけないため、結局は泳がないといけないです。その時、不思議ですよね、本能的に戻らなければならないのは正面に見えている砂浜なのに、何故か岬へ向かって泳いだのです。すると、少し進んだだけで、流れがピタっと止まったのです。流れが止まったら、あとは、ゆっくり泳いだらいいわけですから、それで、助かりました。先生が呼んでいるなら、先生の方へ向かって泳ぐのが普通だと思います。
自分が砂浜とは違う方向へ意識が向き、さらに行動に移して泳いだのが、自分の意志ではないという感覚が、ものすごくありました。神様の働きというのは、自分の意志に直接こうやって働きかけるのかなと思った体験の一つです。
〇 私の信仰体験2-スマトラ島沖大地震
二つ目は、私がタイに仕事で駐在していた、2004年12月26日、スマトラ島沖大地震の時です。死者、行方不明者22万人です。津波発生の前から話しますと、冒頭で売り上げを倍にしたと話しましたが、会社からのご褒美で、タイのリゾート地、プーケットに慰安旅行で行くことになりました。会社が全額お金を出すわけですから、タイ人スタッフは大喜びです。タイ人スタッフへのご褒美ですから、旅行計画はすべてタイ人が立てることになりました。途中、タイ人スタッフが私に聞くわけです。「水野さん、シミラン諸島に行くんだけど、どう思う?」って嬉しそうに言うわけです。シミラン諸島って、地図で見るとプーケットよりもインド洋側にある、絶海の孤島で、距離は船で3時間ぐらいです。インド洋の人が住んでない島ですから、水はすごく綺麗です。私は、「そこへ行ったことあるけど、行ったって何もないで。水が綺麗なだけで、行って帰るだけだからって面白くない。それより、映画のロケ地にもなっているピーピー島(船で2時間のリゾート地)に1泊2日で行った方が絶対にええで」と言いました。この時の感覚をよく覚えていますが、何故か分からないですが、不思議なのです。普通だったら、私は良いと思った事を言い張る、言い続けるのですが、その時は自己主張をしなかったのです。これは本当に自己主張をしなくて良かったです。もし、ピーピー島に行っていたら、津波で100パーセント死んでいたからです。ピーピー島は、アルファベットのHの形をしていて、Hの縦の棒が山で、間の横棒が砂浜になっています。(左の)東側の島は断崖絶壁で、人は行けません。旅行者は、このつないでる砂浜か、西側の島に滞在します。島をつなぐ砂浜は、幅が200メートル、長さ600メートル、海抜は1メートルぐらいしかありません。そこに、お土産店とか、宿泊施設が所狭しと並んでいて、走れないぐらい人がいっぱいいます。そこに津波が襲いました。片側から高さ6メートル、その後、反対側からも7メートルの津波が来て洗い流されました。そんなに大きな島ではないのに、この島だけで1300人が亡くなっています。僕は自分が勧めた所でしたから、もうドキッとしました。後日、ニュースや現地の新聞を読むと、日本人が8名ぐらい亡くなっていることを知りました。この時の体験も、本来なら自己主張するところをしなかった。もう、これも、神様が私の意思に直接働きかけられたのかと強く思いました。
さて、地震の発生した時は、プーケット島のカロン・ビーチにある宿泊施設にいました。プーケット島は、長さ50キロ、幅が10キロぐらいある淡路島のような比較的大きな島です。旅行3日目、最終日の朝、ホテルで朝食を済ませ、チェックアウトをして、外でタバコを吸いながら出発のマイクロバスを待っていましたら、揺れを感じました。同僚の日本人と顔を合わせて、タイって地震が起きないのに、何故だろと話しました。地震の発生は午前7時58分、8時です。で、その日の予定は、マイクロバスで1時間半のところにある、パンガー湾という、映画ジェームズボンドのロケ地に行くことになっていました。大小160ぐらいの島があって、山水画に出てくるような、とても綺麗なところです。そこをカヌーか小舟で島巡りをする予定でした。ホテルから映画のロケ地へ行く途中、かつては海賊が住み、今はコウモリのいる洞窟に寄りました。5分で足りるようなところに、2、30分ぐらい見学してから、映画のロケ地に向かいました。津波の到着は、地震発生から2時間30分(午前10時30分)後です。我々のロケ地の到着予定時間は、移動に1時間半、洞窟の見学で30分として、2時間後の午前10時00分です。我々がロケ地に着いて30分後(=10時30分)は、おそらくカヌーを自分で漕いで島の洞窟を回っているか、小さなボートで島巡りをしていたと思います。
しかし、津波が到着した時、我々はそこにいなかったのです。何故なら、ホテルをチェックアウトして、バスを待っていましたが、バスの運転手が寝坊して、出発が約1時間遅れたからです。結局、僕らがバスで移動している時に、津波がドカーンと来たわけです。実際、私らが山を下ってロケ地の港に近づいた時には、「この先、通行止め」と軍が道路を封鎖している状態で、結局は近づくこともできず、被害の状況を見ることさえできませんでした。
生身の人間である以上、寝坊してもおかしくはないですが、朝の5時ではなく、8時でしょ?それも自分一人だけの遅刻ならまだしも、観光客全員にかかわる仕事です。私がタイに5年間いて思うのは、タイ人は夜、寝るのが早いです。夜更かししないから、朝はちゃんと起きます。今までの経験上、寝坊に遭遇したのはその時だけです。私は、神様は寝坊をさせるようにその人に夜更かしさせたのではないかと今でも思っています。このタイミングで寝坊なんて事があるのかと、強烈に思いました。これだけだったらただの偶然みたいな感じで聞き流されると思います。ただ、これが1万分の1の確率として、また1万分の1の確率が起きたら、1万掛ける1万で1億分の1ですから、偶然では説明がつきません。
〇 私の信仰体験3-ノルウェーでの体験
次に移って3つ目をお話させていただきます。
2005年の春に会社を辞めて自由になり、ここぞとばかり、1か月半、ヨーロッパへ大旅行に出ました。3つ目は、ノルウェーでの出来事です。地図を見ると、ヨーロッパの左上に馬か麒麟の顔をしたようなスカンジナビア半島があります。その半島の東側がスウェーデンで、西側がノルウェーです。大西洋に面しています。元々、ノルウェーには行くつもりがありませんでしたが、たまたまロンドンの本屋さんにふっと立ち寄って、手に取った旅行ガイドブックを見ると、地上にこんな綺麗な所(オーレスン)があるのかと驚きました。当初の計画では、ロンドンの後は、ドイツのライン川下りに行くつもりでしたが、急きょ予定を変更してドイツは止め、現地で航空券を探してノルウェーに向かいました。その時は、朝5時ぐらいにロンドンを出る飛行機でしたので、前の日の晩から、バスで空港に着いて、空港の椅子で寝ないで夜を明かし、飛行機の中で、1、2時間ウトウトとして、ノルウェーに着いたのが、朝の8時でした。移動にも結構時間がかかり、首都のオスロに着いたのはお昼です。私が行こうとしている、その綺麗な港町(オーレスン)へ向かう列車は、午後3時発でしたので、それまではムンク美術館や市街を観光して、いよいよ午後3時から、その綺麗な港町に向かいました。列車は、スカンジナビ半島を北上してから横切った所で列車は終わり、その後はバスで移動します。綺麗な港町の手前、約100キロのところに列車が着いたのが、夜の8時でした。夜の8時ですが、北欧ですからまだ明るかったです。ただ、夜遅くに現地へ着くのはあまり賢明ではないので、列車の終着駅で一泊する予定でした。ところが、ちょっと見回すと、店はそんなにありませんし、どうも殺風景な感じがするところに、列車から降りた乗客の殆どがバスに乗ろうとしているのが見えました。それを見て、私もつい釣られて、もう行っちゃえと思い、その綺麗な港町行きのバスに乗りました。
そして、その港町に着いたのが、夜の10時40分でした。さすがに暗かったです。着いてからガイドブックを頼りに、泊まるところを徒歩で探しました。1軒目は「満室です」と言われて断られ、しばらく歩いて、2軒目を訪ねると、満室。3軒目も満室です。この港町は、北緯60度に位置して、アラスカのアンカレッジと同じような緯度です。とにかく寒いんですよ。6月ですが、気温は、8度ぐらいだったと思います。おまけに風が冷たくて、もう体感的には3度とか4度みたいな感じでした。さらに言えば、前の日はほとんど寝ていないうえ、丸一日移動していますから、もうくたくたです。結局、徒歩で6軒当たりました。6軒当たってもう最後には、泣きつくように、ホテルの人にどこか紹介してくださいって頼み込みました。そしたら、ホテルのフロントの人が電話かけてくれるも、「この町のホテルは全部いっぱいです」と言われました。どうも、ドイツ人の観光客がすべて押さえているようでした。大きなリゾート地なら大勢収容できる巨大なホテルがボン!と建っていますが、田舎の町ですから、小さな3階建てのホテルみたいな、そんな宿泊施設しかありません。収容のキャパがないからでしょうが、結局、全部いっぱいでした。時計の針を見たら、あと4時間もしたら夜が明けるだろうし、しゃがんで夜を明かそうと思いましたが、なにせ風が強くて寒いからじっとしていることはできず、歩くことにしました。ショッピングセンターがちょっと遠く見えたので、建物の中だったら寒くないと思い、しんどいですが、そこまで行きました。しかし、鍵がかかって中には入られませんでした。
疲れ切った上に寒いし、もう低体温症になると危ないという気持ちに襲われました。(平熱36℃の人が)34℃になるだけで意識障害を起こしますから。私は旅の記録をノートにつけていましたので記録を見ると、夜の11時半でした。バスが着いてから、50分間、ずっと探し回っていたことになります。もうアカンという気持ちでそのまま歩いていると、なんと、列車の終着駅からこの綺麗な港町まで乗ったバスの乗客とばったり出会ったのです。夜のこんな遅い時間ですから、通りにはほとんど歩いている人はいないのに、バスで乗り合わせた外人とばったり出会ったのです。その外人というのは、バスの移動中、休憩があってタバコ休憩で降りた時に、その外人(白人)と、私とバスの運転手の3人で、タバコを吸い、その外人とは言葉を交わしたので、お互いに顔は覚えていました。こんな場所でこんな時間ですから、私は勿論、相手もびっくりしています。私はその外人に「ホテルをずっと探しているけど見つからない」と言うと、相手は「ユースホステルに泊まっているが、部屋は空いている」というわけです。私が「ユースホステルなんかこのガイドブックには記載されていないです」と言うと、「このガイドブックには書かれてない。つい最近出来たばかりだから、みんな知らないだけだ」という事です。ユースホステルはホテルと違ってサービスは特にないため、団体客は泊まらず、個人旅行者が泊まるだけです。その外人に地図に所在地を書き込んでもらい、無事、宿泊することができました。
この時の体験は、田舎の夜11時半で、店はことごとく閉まっています。人の気配もほとんどありません。バスが到着したのはもう1時間前です。そんな時間なら、ホテルに入ったら外に出るような事は、普通しません。大体寝てしまいます。それなのに、その外人は何があったのか、食べ物を買い物に行くとか、そんな事を言っていました。
通り一本でも違ったら会うことは絶対ないですし、時間が少しずれても会えないです。私が閉まっていたショッピングセンターに行かなければ、時間がズレて会えていません。しかも、この港町は人口が4万人。半島になっていて、幅が大体400メートル、長さが8キロもあります。そんなところでばったり会うか?と思います。この時の体験は、偶然という言葉では説明がつかないのです。
さらに、こんな時間に、バスの他の乗客でしたら、顔は覚えていませんし、お互いに話しかけることはないです。仮に話しかけても、宿泊しているホテルは満室だったでしょう。可能性があるのは、ユースホステルに泊まり、なおかつ私がタバコを吸って、お互いに会話を交わした時の外人だけだったのですから、これも神様がその人を動かしたとしか考えられないような、僕の一つの大きな体験でした。 私にショッピングセンターへ体を向けたのもタイミングを合わすためだったわけです。
以上、三つの体験以外にも、ポルトガルでナイフつけられ、突きつけられたものの、ご祈念していたらね、ニコっと笑って、財布もチェックしないで逃がしてくれたりとか、本当はもっと色々あるんですけど、この話はこの辺で終わりにします。
