教会は家族で運営
曾祖父の代から金光教の教師で、私で四代目。この豊中市庄内の地には、昭和21年(1946年)2月に移り住み、以来家族で営んでいます。
【目次】
教会施設の画像



何をするところ?
教会というと宗教儀式・集会を連想されると思います。確かに神主さんの恰好をして祭事を仕える日もありますが、通常は悩み苦しみを抱えて来られた方との一対一の対話を基本としています。
参拝の流れ
まず、参拝者の願い事や胸の内(不安・怒りなど)を1時間から2時間じっくり聞かせていただきます。そして、神前で参拝者から伺った内容を神様にお届けして、一緒に手を合わせます。
金光教では「神仏は和らいだ心、信(まこと)の心に感応する」と考えているので、参拝者に応じてお話させていただきます。あまりにも辛い体験に対しては、発言は控え、参拝者の心の重荷の一部でもこちらが引き取れるよう心掛けています。
終われば、神前に手を合わせるか、またはそのままお帰り下さい。私は、翌日以降もその参拝者の立ち行きをご祈念させていただきます。
神はいるのか、いないのか以前に、不安やストレスによる自律神経の乱れは万病の元ですから、不安は教会に置いて帰るつもりで参拝して下さい。
参拝者の約半数が他宗教か無宗教
このような教会ですから、参拝者の約半数が仏教か無宗教です(←宗教心の有無、宗派は問うていません)。
戒律や教えの強制ってあるの?
宗教団体に対するイメージとしてあると思いますが、金光教には参拝の強制、戒律や教えの強制はなく、こういう考え方をしたら助かりますという提案程度です。決めるのは本人ですし、宗教者でも教えの一つでも守り切るのはそもそも難しいものです。ただ教えは、行き詰まった時や感情が乱れた時に立ち返るべき指針としてはとても有効だと思いはします。
輸血がダメとか、薬の服用はダメとかも一切ありません。
お金について
お供えをさせて頂きたいという申し出があれば神前(しんぜん)にお供えさせて頂きます。しかし、私たちは営利目的でしているわけではなく、役割に奉仕している以上、こちらから要めることは決してありませんし「払わないといけないか」と思わせるような雰囲気もありません。話が済んだと思えば、自由に席を立って帰って下さい。建物内には家族のみでスタッフなどはいませんのでご安心ください。
費用を提示したほうが来られやすいのかもしれませんが、そうすると「見えないもの」に手を合わすという人間の尊い行為が、お金がかかるからやめておこうとなり、難儀な人の救済を使命とする我々の本分から大きく外れてしまうからなのです。
入信・入会について
他の宗教団体で行われているイメージが強すぎるせいか「入信」のことについてよく聞かれますが、この教会では入信や入会を求めることもありません。何故なら、そもそも信仰は将来にわたって約束できるものではなく、また束縛・強制するものでもないからです。こちらの姿勢は、来るもの拒まず、去る者を追わずです。
なお、当教会では信仰による助かりが目的ですので、金銭や生活に関する経済的な助かりは他の事業団体へご相談ください。
