2024年11月7日(木)

内面の大きな転換とは、今まで自分にとっての当り前が当り前でないことに気付くことで、視野が大きく広がることを言います。このような内面が大きく転換する時、運命も大きく好転することがよくあります。

自分の行動は自分の考え方に基づいて行うわけですから、考え方の幅が広がれば、行動の選択肢も広がり、行動が変われば違った結果がもたらされて当然でしょう。

なお、私の言う運命の好転とは、単に社会的な地位の獲得や目覚ましい業績の達成を意味するのではなく、「立ち行く」「甲斐ある命に目覚める」「人間らしく生きる」「なにげない日常生活に感動を覚える」ということです。人間は人とのかかわりの中で生きていますので、自分以外の人への接し方・考え方が変われば、相手の自分に対する接し方、眼差しも変わり、結果、目の前の景色が好転するということです(←勿論、逃げた方が賢明な場合もあります)。

大きな例を挙げれば、ヴィクトル・ユーゴーの名著『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンが該当しますが(*1)、ここでは私の卑近な例を話します。

【例1】私は昭和の人間でもあり、40代まで家事はしても食事だけは「してもらう」立場を取っていました。しかし、今は妻が片道1時間半の通勤をしながら高校教員の仕事をしていますので、妻の帰宅が18:30を過ぎる場合は、2歳と4歳の子供がお腹を空かすこともあり、私が作っています。昔の私からすると、私がシーフード・パスタ、ハンバーグ、麻婆豆腐、魚の煮つけなどを作るなど思いもしないことです。調理の仕方は、動画サイト、YouTubeを見れば分かりますので、有難いことです。

その結果、妻からは喜ばれ、結果、食卓は毎日和やかな雰囲気に包まれます。

もし、私が「してもらう」立場を堅持していれば、妻のストレスは高まり、私に接する態度は決して和らいだものにはならないでしょう。その結果、私も妻の姿を見るだけでストレスになり、家庭生活が立ち行かなくなります。

職場で、担当の業務が決められていれば、他人の業務を手伝う発想は生まれにくいものですが、もし自分に余裕があれば、仕事量の多そうな人の仕事を手伝うだけで空気が変わるかもしれません。

面白いのは、自分の考えがあまりにも当り前すぎるので、自分の考えが全体の中でどの位置にあるのか、気付くことが難しいということです。

相手のミスを指摘するのが癖になっている人は、本来なら言うべきでない場面で平気で指摘したりするものです。もし、指摘ではなくいたわりに変れば、どうなるでしょうか?

【例2】宗教者の立場で言えば、当り前に思って気づいていない価値に気付くだけで、日常生活の景色が大きく変わることが多いということです。

呼吸や排便・排尿など身体の機能が正常に動いていることや、水の存在。余暇に遠方のリゾート地に行かなくても、空を見上げればリゾート地と同じ美しい空があること。

世の中のほとんどの人が、理屈で証明できないものは信じないという立場を取りますが、理屈で証明されていることには無関心なような気がしますので、私が驚異に思ったことを列記します。

 ① 水: 一般的に、液体は温度が下がれば密度も下がるため、湖や池であれば今より簡単に全体が凍りついて多くの生命は死滅するはずです。ところが、水は摂氏4度の密度が一番高いため、湖や池は水面だけが凍るため、水生動物は死なずに生きることができるということ。何か目に見えない大きなものが、生命を生かそうとしているの?

 ② 太陽: 太陽の熱は水素原子の核融合反応から発生していますが、1秒間に核融合する水素原子の量が現在の1%でも少なければ地球は凍りつき、1%でも多ければ地球は灼熱地獄かもう太陽は存在していない?(←不正確ですが何かの記事で目にしたことがあります)。こんな調整は偶然でできるものなのか?

 ③地球の公転軌道: 太陽からの距離がもう少し遠かったり、近かったりすると、我々は存在していません。この絶妙な距離の調整って偶然でできるものなのか?

 ④月: もし月がなければ、地球の自転速度は1日8時間。→ 地表は強風で、四季はなくなり地球の傾きが予測不能。結果、大規模な気候変動がもたらされます。

 ④動植物の機能: 進化と簡単に言われますが、身体の無数にある器官や細胞がかくも正常に動くように仕向けているのは何なのか?動きというものは何らかの働きがないと動かないものですが、進化の動きは何が動かしているのか?

参考までに、金光教では、このような驚異に思える働きを神の働きととらえているだけで、神が存在するしないの問題ではないのです。

神は存在しないとしても、当り前に思っていることが当り前でないことに気付くと人間は有難みを感じるものです。いくつかの機能不全に目を奪われて不安にさいなまれるおり、無数に存在する有難みに目をやることも、自律神経を整える一つの方法かもしれませんね。← このような気づきを提示するのが金光教の結界取次の役割でもあります。

【例3】最後に冒頭のヴィクトル・ユーゴー、(*1)の補足をさせていただいて、拙稿を終わります。

姉の七人の子供を養おうと必死に働くも、冬場に失業し、飢えからパン1本を盗んだことで懲役5年。脱獄を4回試みたことで結果、懲役19年。

出所後、4日間歩き続け、4日目は50キロも歩いてある町に着くも、元徒刑囚ということで、いくらお金を支払うと言っても宿泊・食事の提供は拒否されます。このような仕打ちをされ続けると反社会的な心が大きくなってもおかしくはないです。その日は最後に教会を紹介され、そこでようやく食事と宿泊の提供を受けることができました。主人公は、自分が徒刑囚であるにもかかわらず、その教会の司教(ミリエル司教)から丁重にもてなされます。

そして、夜中に目が覚ます。精神が幾つもの事柄にとらわれている時は、眠ることはできても、眠りなおすことは難しい。主人公は、夕食の時に使われた銀の食器を盗み、逃亡します。

翌朝、女性給仕が叫び声が響き渡ります「旦那さま、あの男は逃げました!銀の食器は盗まれました!」

ミリエル司教「第一、あの銀の食器は、わたしたちのものだったのかね?」

主人公はその日のうちに捕まり、罪状確認のため3人の官憲に連れられて教会へ来ます。

ミリエル氏は高齢の許す限りの元気さで「やあ、あなたでしたね!お会いできて嬉しいですよ。ところでね、燭台もあげたんだが、あれも2百フランにはなりますよ。どうして食器と一緒に持って行かなかったです?」

主人公は目を見開き、人間のどんな言葉でも言い表せないような表情で、この尊敬すべき司教を見つめます。

官憲班長「この男を放免してよろしいのですね?」→ 司教「もちろんです」

気絶しそうになった主人公に司教は低い声で言います「忘れないでください。決して忘れないでくださいよ。あなたが正直な人間になるために、この銀の食器を使うと私に約束したことを。… あなたはもう悪の味方ではなく、善の味方です。暗い考えや、破滅の精神から引き離して…」

主人公は町を後にしますが、その日の夕方には、10歳の子供の落とした40スー銀貨(=2フラン)の上に、習慣と本能により足を置き、取って逃げました。一方で、知性が目覚めてもがきます。このけだものの働きを自分で見た時、苦悩のあまりあとじさりし、恐ろしくて叫びます。金を返そうとするも、もう子供はいません。

時を経て、主人公は事業に成功し、財産を築き、市長にまでなります。財産とともに暇ができるにつれ、精神を豊かにする読書に時間を使います。倒れた馬車を見れば、自ら馬を起し、泥にはまった車輪を立て直しました。外出の時は、ポケットにいつも小銭を一杯入れて、帰りには空っぽにして帰ります。

ある時、主人公が盗んだ40スー銀貨の裁判で別の男が冤罪で裁かれることを知り、その男を助けるために裁判所で自白します。

その後、8歳の女の子の養育に甲斐ある命に目覚め、余生を送ります。

余談。主人公は40スーの裁判で終身刑を言い渡されますが、脱獄しました。

世の中の多くの人が法律は絶対であると考えていますし、そうでないと秩序が維持できないのはわかります。

しかし、20年前にこの本を読み、作者の考えで視野が広がったのは間違いないです。

それは、罪状に対して刑罰が重すぎるということ。法の目にも涙があっても良い場合があるということです。実際に、おかしな判決は今でもあります(おわり)